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社会 : ニュース : 読売新聞オンライン


 288万7116人――。この国にはこれだけの外国人が暮らす。2021年に開催された東京五輪・パラリンピックでは「多様性」が話題になった。果たして、日本人は外国人と共生できているのだろうか。そのヒントを求めて、かつて「チャイナ団地」と呼ばれた現場を訪ねた。(読売新聞オンライン 谷中昭文)

団地内には中華飲食店が立ち並ぶ

中国人同士でも「何でも相談できるわけじゃない」

 日が沈み始める9月下旬の午後6時半頃。昔ながらの団地では外国人と思わしきカップルが手をつないで歩き、広場では子どもたちが元気に走り回っていた。住居棟の1階部分に入る商店には、ハッカの香りが漂う飲食店やアジア物産店が入っており、生きた
(こい)

(かも)
の血、カエルの冷凍肉、ピータンなどが所狭しと並べられていた。

 ここは、住民の半数以上が「外国人」の川口芝園団地(埼玉県川口市)だ。かつて、様々な生活トラブルが巻き起こったこの団地では、少しずつ折り合いをつけながら、日本人と中国人が静かに、共に暮らしている。

 「ここは中国の昔の集合住宅みたい。みんな生活がバラバラです」

 広場で長男(6)が遊ぶのを見守りながら
流暢(りゅうちょう)
な日本語でそう語ったのは、団地に住んで5年目になる武田みえさん(47)だ。中国・東北地方出身で、日本語を学ぶため24年前に来日した。大学で経済学を学び、事務職や販売職を経験してきた。旅行好きで、07年には「海外旅行がしやすくなる」と日本国籍を取得した。今は、料理人で中国出身の夫と長女、長男の4人で団地に暮らす。 

 武田さんの生活は多忙だ。平日は週に3日ほど、都内で清掃のアルバイトをして、家にいる時は家事と育児に追われる。英語は話せないが、週に1回、団地で行われている英語教室の手伝いもしていて、昨年度からは自治会の役員も務めている。自治会独自の地域情報紙などの製作に携わるほか、大学生などと共同で開催する日本人と外国人の交流会「多文化交流クラブ」ではイベントの準備も行う。

 出身国が同じ中国人が多く住み、今では町内会活動に精を出す。楽しく生活を送っているようにも見えるが、心の内はそうではない。「中国人同士であっても何でも相談できる人はいない。日本人ならなおさらだ」と吐露する。

 中国人といっても、出身や日本に来た理由はみなバラバラだ。同郷同士で仲間を見つける住民もいるが、武田さんの故郷の集いはない。中国のSNS「微信(ウィーチャット)」で、団地の住民が雑談できるチャットルームがあり、顔も名前も知らない「住民」たちと情報交換をするのが常だ。「多文化交流クラブ」でも学生と会うのを楽しみにしていたが、コロナ禍になってからはオンライン会議が続く。

 最近は「日本人とのつながりも作っていかなければ」と考えることが増えた。日本で生まれた長男は日本語しか話すことができない。中国語しか話せない夫との会話は、日本語と中国語が交じったような言葉が飛び交う。日本の文化を知るために、日本人のママ友と一緒に団地内に子ども食堂を作ろうとしている。「料理なら世界共通でつながる。料理が好きな日本人にも参加してもらい、交流の場を作りたい」と武田さんは語る。

「ルールを知る術がなかっただけ」

岡崎広樹さん
岡崎広樹さん

 「ここで起きているトラブルは、日本人のご近所同士で起こっているトラブルの延長線。『日本人』と『外国人』という枠組みで見てしまうから、色濃く違いが見えやすいだけ」

 そう語るのは、団地に住んで7年になる自治会事務局長の岡崎広樹さん(40)だ。岡崎さんは「外国人に対する国の政策と、隣近所の外国人問題は似ているようで違う」と話す。

 この団地は、過去には週刊誌で取り上げられるほどトラブル続きだったという。岡崎さんによると、1990年代後半に中国人の入居者が増え始め、故国から父母を呼び寄せる家庭が急増した。階段の踊り場に大便が放置されることもあれば、ゴミを上から投げ捨てる人もいた。10年には「チャイナ団地」として週刊誌に取り上げられ、「中国人は限りなく増殖する」などと書きたてられた。この年、ヘイトスピーチ団体が団地までやってきて「中国人は出て行け」と声を荒らげた。岡崎さんが入居した14年にも、階段の踊り場に「ここはトイレではありません」という中国語の貼り紙がされていた。

3か国語による案内が設置されたゴミ捨て場
3か国語による案内が設置されたゴミ捨て場

 団地を管理する独立行政法人・都市再生機構(UR都市機構、横浜市)が、事務所に通訳を置くようになると、入居時に生活ルールを正確に伝えられるようになり、トラブルが次第に少なくなっていった。ゴミ捨て場には鉄製の囲いを設け、ごみを上から投げ入れられないようにした。日本語のほか、中国語、英語の3か国語でごみの捨て方を分かりやすく示した案内も設置された。岡崎さんは「外国人も悪気があるわけではない。最低限守ってほしい生活ルールを知る
(すべ)
がなかっただけだ」と振り返る。

 そんな岡崎さんも、いらだつことはある。団地に住む中国人の子どもは夜中まで団地の広場で遊びまわることがあり、一息ついてテレビをつけても大きな声に音がかき消されることも。「外国人だから全ての違いを受け入れましょう、ということは難しい。でも、それは日本人が相手でも一緒でしょう」と笑う。

住民らの手形で埋められたテーブル
住民らの手形で埋められたテーブル

 岡崎さんは、日本・中国の垣根をなくそうと互いの文化を体験する住民向けイベントも開いてきた。「中国人は出ていけ」と落書きされた団地内のテーブルやベンチをペンキで塗り直し、住民らの手形で埋め尽くしたこともある。

 今から6年ほど前には外国人初の自治会役員も生まれ、今や全9人の自治会役員のうち、4人が外国出身者だ。「自治」を日本人と外国人がともに担う、そんな時代がこの団地にはすでに訪れている。午後7時、まだ広場で遊ぶ子どもたちを見つめながら、岡崎さんはこんなことを言った。「他者とのつながりを作りたい人にはきっかけを作っていく。多様な人が住む場所を作るカギは、『ゆるやかな共生』をつくることだと思う」

高齢化進む社会の縮図

 岡崎さんによると、川口芝園団地が建設されたのは43年前の1978年。新幹線の工場跡地に建てられた。当時は15階建ての住居が珍しく、団地内には小学校や中学校もあった。新聞などでも紹介され、好意的に受け止められたが、90年代後半になって潮目が変わる。団地の老朽化で空室が目立つようになり、それを埋めるように入居し始めたのが、日本で就職した中国人だった。川口市によると、この団地を含む同市芝園町の外国人の人口は、97年に208人だったのが、03年には1000人を超え、09年には2000人を数えるまでに急増した。

 川口芝園団地で中国人が増えた理由について、中国人コミュニティーに詳しい立正大学の山下清海教授(人文地理学)は「日本で就職した中国人らが、結婚などを機に家賃が安価な郊外に住むようになり、口コミで評判が広がった」と分析する。入居したのはIT関係の仕事に従事する「ホワイトカラー」の中国人が多かったという。一方、現在、入居している日本人のほとんどは高齢者だ。

 山下教授は「川口芝園団地は、少子高齢化が進み、減少していく日本人人口を外国人が補うという日本社会の将来の縮図だ。互いに協力しなければならないことを考えさせられる」と話した。  



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