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Vol.127 アメリカと日本の違い。規模から考える「報酬」[東京Petit-Cine協会] – PRONEWS : デジタル映像制作Webマガジン


アメリカ映画は世界の映画

前回の続きで、アメリカと日本の違いを語るとは言ったが、それは単に規模とか環境の違いとかウケるウケないといった趣向・傾向の違いとかを語りたい訳ではない。ただ話の出発点として解りやすい規模の違いを考えてみたいと思うのだ。


ご存知のように映画の制作費用の規模感でいうと、下手すれば2桁も違うという現実を単に「羨ましいなぁ」とか「日本は遅れてる(間違ってる)」とかで終わらせるのではなく、なぜそんなに違うのかという事を根本的に考えてみてほしいのだ。


端的に言えば、日本映画のほとんどが日本の映画であるのに対して(例外、”Drive my car”、おめでとうございます!)アメリカ映画は世界の映画だという事。つまりそれだけの顧客を抱えているという事だ。莫大な人が喜んでお金を払ってくれるものだから、それだけの制作費や開発費(インディペンデント映画や技術開発費も含めて)をかけられる。


報酬の出所はどこか?

当たり前な話なんだが、その論点が外れているような事が多々ある。例えば出演者やスタッフとの報酬交渉の中で、お金はプロデューサーや監督の財布から湧いて出てくるとでも思っているような要求をしてくる人がいる。これはとても会社員的な発想で、いや、会社員であっても社長の財布から給料をもらっている訳ではないという事を理解しなくてはならない。自分の報酬の出所はどこなのか?これは”誰かの喜び”でしかありえないと考えた方がいいし、特にエンターテインメントの世界ではそうでしかあり得ない。


極論になってしまうが、自分がその作品のために1日に何時間働いて何日間拘束されたかは関係ない。結果としてその作品がどれだけの人にお金を払ってもらえるほどの喜びを与えたかによってのみ決められるべきものなのだ。


スタッフや俳優によっては、その作品がメジャーなドラマであっても自主制作映画であっても関係なく、1日〇〇万円です!なんて事を言う人がいるが、そういう自分本位の考え方の人とは一緒に仕事する気にはなれないし、話も合わない。会社員というのはある程度法律や労働組合に守られている世界なので、そういう理屈も通るのだが、こと、エンターテインメントに関しては間違っている。〇〇万円というのが間違っているのではない。自分の価値を自分で決めなくてはならないクリエイターには、そういう提示は必要な事だ。”作品の経済的価値にかかわらず”というところが間違っているのだ。



この価値というのは何も劇場の窓口でお金を払ってくれる人だけという意味ではない。例えばCMのような無料で見られる映像であっても、どこかで誰かが喜んでいるからこそお金が生まれる。製品の売れ行きが向上したといった分かりやすいものもあるが、企業イメージの向上やそれによる有能な人材の確保に寄与したといった効果も含めて、誰かが喜んでいるからこそお金が発生するのだ。そこまでの事を意識すれば、時給・日給換算なんて何の意味もなくなるはずだ。


作品の効果と負うべき責任

実は私自身、こういった商業映像も数多く手がけているが、その時は絶えず誰を喜ばせる為のものかを強く意識している。時として「仕事だから」という理由だけで担当者になっている人との打ち合わせでは話が噛み合わないことすらある。社外の私の方が会社の事を真剣に考えていたりもするのだ。


普段、自主制作でやりたい放題な私のイメージとはかけ離れているかもしれないが、何を作る時でも、その作品の出た先での効果、特に金銭的効果に無責任ではいられないし、例えば同じスタッフや出演者に依頼する時でも、その作品の出口と効果に関しては丁寧に説明し、当然報酬も作品によって違う。その上で合意できない場合はきっぱり諦める。その方が人間関係は守れると思うからだ。


私自身の報酬にしても同じだ。経済的価値のある作品に携わる場合はしっかりと報酬はもらうし、逆にどんなにいい作品になりそうでも、前回にお話ししたような、ただ、湧いてくるから作るという自分勝手な物なら、全ての責任は自分で負うし、その作品やテーマに共感してくれる人のみに仕事は依頼して、或いはクラウドファンディングなどで寄付を募るようにしている。


だからこそ、企画書やプレゼンで、上映規模や作品の効果を嘘偽りなく表しておくのはとても重要な事だと思う。最近、そこに夢物語のような希望的観測を書いて寄付や出資を募っているプロジェクトを見かける事があるが、とても危険な事だと思う。特に”出資”という言葉は使いようによっては口にするだけで違法で捕まってしまうので特別な知識と注意が必要だ。スポンサーという言葉もグレーで、お金を出してくれる人が寄付のつもりなのか出資のつもりなのかはしっかり確認・契約しておく必要がある。


前回、マーケティングから始まる商業映画と、ただ湧いてくるアートフィルムとの区別をはっきりさせたのだが、自由なアートフィルムであったとしても、その出口と効果は良くも悪くもしっかり見据えておく事が重要だ。まして人を巻き込む作品作りでは、それをしっかり正直に伝えなければならない。仕事を受ける側にもその理解は必要で、それによっては金銭的な報酬にあなた自身が参加する喜びを加算して、満足すれば受けるべきだし、そうでなければ絶対に断るべきだと思う。


どうなる?これからの日本映画界



映画大国のアメリカという国は、さすがに映画の業界が成熟していて、いろんな条例やユニオン(組合)のお陰で、環境や報酬が会社員並みに守られているケースが多いが、残念ながら日本はそうではない。昨今のコンプライアンスブーム(失敬!)の波に乗って、経済産業省までが改善に乗り出す姿勢を見せ始めているが、正直、どうにもならないと考えている。「無い袖は振れない」という一言に尽きる。


もし本気でなんとかしようと思うのなら、単純に考えてマーケットを拡大するしかない。国策として海外展開を助成するとか、例えば字幕の製作とか世界配信プラットホームの確保や宣伝を全て国費で賄うとか… 残念だが想像できない。


あとはダウンサイジング。考えてみればアメリカと2桁違う予算で、同じような100分の作品を作ろうとするところに誰がどう考えても無理がある。「日本映画は30分しかない。」それでいいような気がする。まずはその中でクオリティーやエンターテインメントのあり方を高め、売れてきたら尺を伸ばしてゆくという考え方もあるのではないだろうか?文句のある人はとっととアメリカへ行っちまえ!いや、これは暴言だな。失敬。


WRITER PROFILE

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。
日本映画監督教会国際委員。
一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。
極小チームでの映画製作を提唱中。



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